熱中症とアイスクリーム

さっきから頭が痛い。すごく欠伸も出る。

これ、あれちゃう?手許のスマホで検索する。

熱中症 欠伸」で検索。はい、ビンゴ。google使える国でよかったね。

汗をめちゃくちゃかいている。

水は摂取していているから、塩分不足だろう。

結婚式でアルコールを摂取したのが引き金になったかもしれない。

とにかく早く対処しなくては。

 

ガイドは、お昼にしようと提案し、場所は自宅で、という。

生後2ヶ月の息子がいるのだそうだ。

そこで塩分チャージしようか。

赤ちゃんのいる家を訪ねるときには、お土産を買っていくものだ、とガイドは言う。

いやそれ完全にマッチポンプ、あんたがお土産欲しいだけと違う?

とつっこみたくなったが、頭が痛いし気力もない。

大人しく雑貨店でお菓子を買って、ガイドの家を訪れた。

 

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高床式の開放的な1階部分に机や椅子やハンモックを出して、ランチ会。

熱中症になるような外と比べてもだいぶ涼しい。この家屋は知恵だ。

家族というには人数が多いから、こんなにたくさんこの家に住んでいるの?と

聞いたら、違うよ、とドライバーは答えた。

週に1回、この辺りに住んでいる親戚がこういう風に集まるのだという。

私は、お盆はこんな調子で海外をぷらぷらしているから、

親戚なんて正月でなければ会わない。

「それってラオスでは普通なの?」

「普通だよ」

仲がいいんだな、ラオスの家庭って。

まぁ、サンプルが少なすぎる話ではあるけれど。

 

頭痛も落ち着いたし、残りの村に連れて行ってもらう。

でもやっぱり、結婚式ほどのミラクルなんて起きるはずはなくて。

カム族の村は、もう民族衣装をやめて、現代的な生活をしているようだった。

ランテン族の村は、伝統的な家屋もちらほらあって、洗濯物の中には伝統的な装束も混ざって干してある。

今日行った中で一番伝統が生活レベルで残っている村だった。

 

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ここにもビジネス民族衣装おばさんはいるので、大人しく品物(ここではバンブーペーパー)を買って、写真を撮らせてもらう。

ランテン族の女性の服は上下綿の濃い藍染で、シンプル。というかすごくモダン。

首の前から、タッセルが腰まで垂らしてあってこれまたモダンだが、ちょっと扱いにくくはないか?

聞いてみたら、そうでもないらしい。

髪型も凝っていて、前髪を薄くとって左右に振り分け、後ろ髪を簪で留めてある。

この人だけではなくて、村の女性はみんなこの髪型だ。

 

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村の子供達と遊んでいたら、わいわい騒がしくなってきたので、なんだろうと思って見てみたら、アイスクリーム売りだった。

ラッパの音につられてみんな買いに来る。

買ってあげるとガイドが言うので、私も子供達と並んでアイスをぺろぺろする。

素朴な甘さの乳脂肪分が多いタイプのアイスクリーム。火照った体に染みる。

昭和ってこんな感じだったのかな、と思う。

「こんな風にアイスを売りに来るのはラオスでは普通?」

「普通だよ」

 

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何処の馬の骨ともしれない私と遊んでくれた子供達

 

車通りに面した村でこんな感じならば、奥地はどんな感じだろう。

10年前に来ていたらもっとすごかったかな。

帰路の車中でそんなことを考えていたら、道端に佇むローカルおじさんに出くわした。

町まで出たいらしい。

翌日に嫌という程思い知ることになるのだが、ラオスの公共交通は貧弱だ。

ガイドはおじさんを乗せ、走り出した。

ヒッチハイクラオスでは普通?」

「普通だよ」

田舎ではね、とガイドは付け加えた。

 

また少し車を走らせると、今度は路肩に車を直そうとしている人がいた。

ガイドはその人と少し喋って、携帯電話を貸して戻ってきた。

ラオスでは普通だよ」

とドヤ顔だ。

ラオスの普通、好きだよ」

と私は答えた。

その後は、うつらうつらとしていたから、挨拶以外でガイドとちゃんと喋ったのはこの会話が最後だ。

ヤオ族の結婚式に招かれた

ヤオ族の村に着いた。

村の入り口から中を窺うと、高床式のアカ族の村とは異なって、平屋が連なっている。

 

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村の入り口に民族衣装のおばあさん。

出ました。写真撮らせてくれる代わりに手工芸を売る、ビジネスおばあさん。

オフシーズンなのに入り口に居るの流石ですね。

「前以て電話とかした?」とガイドに聞こうと思ったが、

この人が前以てなにかをするとは思えなかったので聞くのはやめた。

需要と供給が完全にマッチしているので、断る理由がない。

衣装を隈なく見せてもらう。

黒に近くなるほど藍で染めたターバンは縁を繊細な刺繍で彩られている。

これも黒の丈の長いジャケットは、もこもこの赤い毛糸のボンボン状のもので襟が構成されている。袖口に青を基調とした細かなクロスステッチ

その下に纏うパンツがとんでもない。超絶細かいクロスステッチで、びっしりである。とんでもねぇ。とんでもねぇよ、、、と慄いていたら、

「おばあさんが作った」とガイドが通訳する。

ドヤ顔のおばあさん。あなたが神か。ハンディクラフトの神か。

「これは売り物じゃないよ」

ええ。そうでしょうとも。

 

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眼福至極。多謝手工芸神。祈長寿。

興奮して思考がエセ中国語になりながら、同じ意味の言葉を通訳してもらう。

おばあさんがかっかっと笑った。

 

 

おばあさんに別れを告げて村の奥へ歩を進める。

軒下に刺繍をする女性たちを見つけた。

女3世代。それぞれになにか作業をしている。

挨拶すると、剥いたドラゴンフルーツをくれた。

もぐもぐしながら、ガイドは世間話。私は刺繍の手元に夢中になる。

 

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ヤオ族の刺繍の名高さは、日本でも予習済みだったが、近くで見ると実に細かい。

こうして刺繍している作品は、バイヤーが町に持って行って売るのだという。

同様のものをルアンパバーンでも見たので、嘘ではないと思う。

こうして手工芸が現金収入に直結すると、その手工芸は生き残ることができる。

この若い娘さんは、ヤオ族ではない。

嫁にきて、今ヤオの刺繍を学んでいるのだという。

 

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それにしてはとってもお上手だと思いますよ

ゆっくりと時間が流れる軒下で、ヤオの刺繍が伝承されているのを見ながら、

ドラゴンフルーツを頬張る。

この村でも、ゴムの白い塊はよく見る。

ゴムもいいけど、女性が現金収入の手段を持つことは、とてもいいことだ。

暫し穏やかな時間が流れて、またねを告げる。まだ村の半分もいっていない。

 

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村の中を歩いていると、庭に赤いプラスチックの椅子や机が並べられた家があった。

例の民族衣装を着た人たちもちらほらいる。

なんだこれは。

 

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衣装を着た人たちに聞いてみると、結婚式の支度をしているのだという。

すごいなー!!見たいなー!!でもまだ支度かー!!

村の奥まで行って、戻ってくるときにかちあえたらいいなと思って歩いていたら、

出会ってしまった。

 

ガレージの奥。

強い日差しに白く色が飛ぶような日向より、かえって色彩が判別できる日陰。

美しい人と目があった。

言葉にならない声が漏れる。口許を手で抑える。

向こうもはっきりと私に目を合わせてくる。

この人だ。今日の主役だ。花嫁さんだ。

その花嫁さんが、手招きをする。

吸い寄せられる。

あまりに綺麗な、絢爛豪華な、美しい、煌びやかな、輝くばかりの、、形容詞が足りない。

花嫁にしては大人しめのツヤ肌メイク。上品だ。

「とても美しいです。ご結婚おめでとうございます」

花嫁さんが「謝謝」と言った声の甘く小さなこと!

萌えええええええええ!!私の中のオタクが絶叫する。

写真撮影の許可をもらうと、世間話するガイドをよそに、うっとりシャッターを切りまくる私。

 

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写真を撮っては見せ、撮っては見せ、、、、

そうこうしているうちに着付けは終わり、ちゃんと自己紹介をする。

名前はファム。19歳。新郎は23歳。お見合いだったらしい。

都会に働きに行って出会った二人。この村は新婦の村で、これからは新郎の村に住む。

唐突に、ファムが言う。「写真を撮ってくれてありがとう」

「「いや、こちらこそですよ!!」」声がでかくなってしまった。

「結婚式に来てください」というファムの提案を聞いた時は、

天上から天使の音楽が聞こえた気がした。 

人生の晴れ舞台に、こんな行きずりの何処の馬の骨とも知れない外国人を招いてくれるなんて。

 

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ファムの2人の妹たちも同様の民族衣装を着付けされている。

10代も半ば過ぎた妹は、きちんと晴れ着を着ることができた。

10歳ぐらいの妹は、着物に着られている状態。

ジャケットの裾はずりずり床をするし、

パンツのウェストはぶかぶかでずり落ちるし、

頭のターバンは多分彼女には重くて、

余った袖を手で弄んでいる。

その様子が可愛くて可笑しいので、着付けのおばさまたちは大笑い。

 

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みんなの着付けが終わって、先程の家に向かって新郎新婦を始めみんなが向かい始めた。

私は、既に一杯やり始めているおじさんたちのテーブルに通され、

ご飯を振舞われた。注がれるビール。

こんな幸せありますか?

おじさんたちは、ごくごくラフな格好をしている。

中には裸に羽織ったシャツのボタンをかけず、乳首が見えてるおじさんも。

いやいや寝間着かよ?女性たちは長袖もこもこ襟よ?

まぁ、私も大変ラフな格好をしているのだが。

おいガイド、飲んじゃダメだろ。運転する気ある?

 

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人がざわざわし始めたので、何だろうと思って観察していたら、何かセレモニーのようなものが始まっているみたいだ。

まず、テーブルを挟んで新郎新婦と客が正対し、テーブルの上の生米の鉢の上にお札を置く。

すると、新郎がタバコ2本、新婦がオレンジジュース2杯を勧め、客はそれを頂く。

客は最後にタオルを1枚頂いて、終了。次の人へ。

私も、ガイドに祝儀の相場を聞いて列に並ぶ。

 

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 あらかた出席者のご祝儀セレモニーが終わったようだ。

私は、おばさまに連れられ、

「ここに座れ」と、たぶんそう言われて、

ひとり母屋の会食会場の席に座らされた。

またもや料理と酒である。

みんなバラバラと座りだした。空席もある。

何か掛け声やいただきますがあるかしらと待っていたが、

みな好きに食べ、飲み始めている。横のおばさまに勧められて私も頂くことにした。

ガイドを探す。

少し離れたところでビールを注いでもらっている。運転大丈夫かおい。

 

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新郎新婦も着席して、食事をし始める。

と、私の隣のおばさまがファムに何やら語り始めた。

食事を中止して真剣に聞く新郎新婦。

涙ぐみ、やがてしゃくり上げるほど号泣するファム。

察した。

隣のおばさまは、ファムのお母さんだ。

私、花嫁の母親隣の席に座っている。

えっ、これめっちゃ重要な席では?

いいのかファム。いいのかファムのお母さん。

いや、ここに座れと言ったのはファムのお母さんだ。

しかし感動的なスピーチなのだろうが、何を言っているか全然わからない。

どんな顔して座ってるのが正解なのかわからない。

なぜなら!!ラオ語が!!わからないから!!!

何を言ってるのか知りたい。

ガイドの方を見やる。通訳してもらうには遠すぎる。

なぜかガイドがもらい泣きしている。

これはもう時間が経つのを待つしかない。 

汗がにじみ出る。時計を見たら、もう30分くらい話している。

 

たぶん出席者みんな、母娘の感動の対話に聞き入った。

終わったタイミングで、民族衣装を着た親戚のおばさまが席を立つ。

戻ってきたときには、tシャツ短パンに着替えていた。

私が、あー!という顔をすると、

親戚のおばちゃんは、汗染みのついたtシャツを見せて、

「だって暑くって」とたぶんそう言って、

私は、「まー、そうですよねー」と納得した顔を返した。

やはりオシャレは我慢か。

ファムも目頭を抑えながら退席し、tシャツになって戻ってきた。

結婚式は終わったらしい。

私もそろそろお暇する時間かな。

感謝と別れを告げる。

 

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ばいばい、お互いに、いい人生を

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新郎の家族は外で会食していた


車の中で、ガイドに母のスピーチの内容について聞いてみた。

結婚前は許されたこともあるけれど、結婚後は許されないこともある、、、

これはするな、あれはしろ、、、みたいな訓示だったらしい。

ざっくり解説だなー、と思いながら、カーステレオから流れる音楽を聴いていたら、

「こんなことは、ガイドを6年やってきたけど初めてだ。ラッキーだったね」と言う。

そうかすごくラッキーだったんだな、旅の神様ありがとう。という気持ちと、

え、ガイドさん6年やってて寝坊に飲酒運転?という気持ちが交錯した。

 

ラオスと中国の国境の村で

6:30である。今日はさらに中国との国境に近い町、ムアン・シンに行く。

その近郊をバイクで回る。ガイドの手配は済んでいる。約束の6:30である。

ガイドは姿を見せない。6:45になった。

旅行代理店の人に聞くと、「たぶんまだ寝てる」「あと5分で来るって」

こうなるだろうとは薄々感じていた。

昨日予約した時に、英語を聞き取りきれていない感じがしたからだ。

 

5分経っても来るわけなかった。

キレ散らかしてまくし立てて見せて、7:00に出発。想定よりも早い。

交渉したらバイクから車にクラスアップしたし、まぁ上々だ。

 

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ムアン・シンには近郊の村から少数民族が集まる。

少数民族の朝は早いから、8:00は遅いほうだろう。

それでも市場に少数民族が出てきていて、そわそわわくわくが止まらない。

駆け出しそうになる足を抑える。

 

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ここに来ている人は、普段着の人。

民族衣装フル装備の人は居なくて、シンと呼ばれる巻きスカートだけの人や、ヘッドドレスだけの人、ポシェットがトライバルな人などなど。

日常生活レベルでもその程度の伝統的装いはするということか。

 

屋台で麺を啜って、散策する。

一角に少数民族のための服屋が固まっている(といっても2軒?)

化学染色とミシン仕事なので、あまり買い物をする感じではないが、

押しの強い黒タイ族のおばちゃんが店番をしていてやりとりがかなり楽しい。

結局腕輪を買ってしまった。

 

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 市場の半分は食品だが、もう半分は日用品を売っている。

中国との国境に近いだけあって、昨日の町よりも中国製の工業製品が多く売られていて、モノが溢れている。

私のことも、中国人だと思われていて、中国語で話しかけてくる人が結構いる。

中国人向けにラオの娘の春を売る場所もあるとか。

 

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こんなところにSupreme(たぶんパチモン)

もし、本当に、伝統的な生活を見たいなら、容易にはアクセスできないところに行くべきだろう。

しかしトレッキングを選ぶには、日程がタイトすぎた。

次の村へ行こうか。

 

「アカ族の村だ」と案内された。

黄土色の土に木造の家屋。

全てではないが、主として高床式の伝統的な家屋で、

ただし屋根はトタンに置き換わっていたりする。

 

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路肩に、タライくらいの大きさの白い塊をよく見る。

 何だろうとガイドに尋ねると、ゴムだという。

「触ってみて」と言われてつついたら、水がじわりと滲み出て私の指を押し返した。

いまは水を切っている工程らしい。

最近この辺りは、ゴムのプランテーションが盛んで、

少数民族はゴムの樹液を採集し、

中国のバイヤーがそれを買いに来るのを待っているのだという。

「いくらぐらいの利益になるの?」と聞くと、

「1kg1000Kだ」とのこと。

 1000Kというと13円くらいか。桁が1つや2つおかしくないか。

それでも貴重な現金収入で、普通にしているより儲かるらしい。

 

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挨拶をしながら村の中を歩く。

村人たちは、来訪者に対する拒絶はなく、にこやかだ。

ガイドが村人たちの質問に全て答えてくれるから私も質問しやすいし写真が撮りやすい。

ガイドを雇うメリットよ、、、、私も大人になったものだな、、、、

と噛み締めながらカメラを構える。

村のひとたちは、伝統的な衣装を着ていない。

干してある洗濯物を見ても、日常の服は西洋の服のようだ。

 

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村の子供たちに取り囲まれた。

「サワディー!サワディー!」とタイ語の挨拶。

しかしその掌は一様に上を向いている。物乞いである。

来訪者にはそうしているのだろう。

財布を出せば混乱になるのがわかるので、にこにことわからないふりする。

心は痛む。

ぶらぶら歩くと、最初はついてきた子もいたが、だんだん勝手気ままに遊びだした。

ゴム跳びは世界共通なんだなーとか考えながら、ぎゃあぎゃあ遊んでいるのをぼーっと見たり、

写真を撮ったのを見せて笑いあったりしていた。

 

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おねえちゃんは下の子供たちの面倒を見る。しかし子供が多い。


ひとりのおばあさんが近づいてきた。

アカ族のヘッドドレス。

かわいいかわいいです。ありがとうございます。

耳の後ろ、ビーズ紐の束が、簪に繋がっていて、本当にオシャレ(語彙力ない)

じゃらじゃらしているものに反応しちゃうなんて、猫か赤子か私は。

 

写真を撮らせてもらって、チップ代わりに数珠玉のブレスレット買って。

これでビジネス成立。

それにしても、そんなボロのシャツ着なくても、お金出すよって思うんだけど。 

 

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自ら物乞いにならないで。気高くいて。あなたはこんなにも美しいのだから。

と、思いはするけど、伝えもするけど(流石に物乞い云々は言えないが)

生活の合理性の前で、そうなるのは理解できるし、当然のことだ。

こちらの願望がエゴであることはわかっているし。

見せて頂いてありがとうございます。そろそろ村を出ようか。

 

と、一つの家屋から声がかかる。

ガイドが驚いて応答し、笑顔で話が弾んでいる様子だ。

「何?どうしたの?」

「僕の奥さんの友達だよ。5年ぶりかな?」

「すごいね!話してきなよ!!」

「家に招かれたんだけど、いいかな?」

「!!!YES!!!!」

 

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興奮に高鳴る心臓を抑えながら、

高床式の住居の2階(1階?)へ、靴を脱いで上がる。

テラスのように半屋外になっている部分と、壁に覆われて部屋になっている部分がある。

テラス部分で、竹のちゃぶ台にバナナの葉をテーブルクロスにしてくつろいでいる人たちの視線が突然の来訪者に集まる。

宴は終了し、片付けの段に入っている様子だ。

改めて見渡すと、大人たちとたくさんの子供。

その中に、アカ族の伝統的な衣装を着た女性がいる!!!!

あーーーー!!きゃわいいいいいいい!!!

日常に!!着てる!!風景!!美しい!!ありがとうございます!!

 

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竹のちゃぶ台は、使った後、壁掛けられていた。合理的な。

 

なんでも、今日は親戚が集まる日で、伝統的な衣装を着ている人は、ホスト側らしい。

そういう機会だと、ほぼフル装備の伝統衣装を着るのか、、、メモメモ。

話しかけたいが、彼女は忙しそうに立ち働いている。

もてなす側は大変だ。

一瞬、お盆に親戚をもてなす我が母と祖母の姿が重なる。

水道がなく井戸水のこの村で、家屋の中の水場はバケツに溜めた一角だ。

洗い物をする彼女の背中を見ながら、ラオ語の挨拶を脳内復習。

板の間のひんやりごつごつとした感覚を足下に感じながら、しばし子供たちと遊ぶ。

 

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家の中は清潔で、風通しも良い。

お茶を勧めてくれた彼女にラオ語で挨拶して話しかける。

「ありがとうございます」

「あなたはとても美しい」

「写真を撮ってもいいですか」

 彼女ははにかんで、頷いた。僥倖とはこのことだ。

こんなありがたいことがあるだろうか。

 

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改まってカメラの前に立つと緊張するのかな。

「笑って」は、「ニムニム」というのだとガイドが教えてくれた。

「ニムニム」と伝えた。

笑うことは強いて行うことではないのだ、と、

伝えた後で気がついて、赤面して硬くなったのは私の方だった。

 

ガイドに促され、感謝を伝えて家を後にした。

 

辺境の夜市 町の少数民族

ラオスは山に綺麗な衣装の少数民族、町に絹織物と、布の宝庫だ。

今更こんな大御所に初めて行くなんて、、、だけど見たい。まだ間に合うなら。

 

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途中で立ち寄ったレストラン。流石に走りっぱではない。

 

ルアンパバーンから中国との国境、ルアン・ナムターまでバスで移動する。

8:30からローカルバスで移動を開始し、着いたときには16時を回っていた。

 

明日は少数民族の村を訪ねるのでガイドをブッキングする。

そうすればもう夜だ。夜市の時間だ。

 

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ラオスでは、首都のような大きな街にもここのような小さな町にも夜市が立つ。

販売されているのは主に食品で、持ち帰る前提のお惣菜も、ここで食べる屋台も両方。

雨季だからいきなり結構な雨が降ってきたが、テントを張って御構い無しに営業が続く。

店番のおばちゃんたちは、ポリ袋を棒の先につけて振り回すのに忙しい。ハエよけだ。

 

ここの夜市は、小さいけれど、ラオス旅の中で一番見応えがあった夜市だった。

メニューが、明らかに他と違う。

 

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カエルの素揚げ、隣はコオロギ?

 

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筍蒸したの、サワガニの素揚げ、ハチノコ炒め

 

昆虫食!はいリアル昆虫食!!

辺境キターーーー!!とテンション爆上げ。

こうしたお惣菜が眼の前で取引されるのを見るとワクワクが止まらない。

ネタとかじゃなくて、これが生活に根ざした文化!!

地球面白い!!日本は遠くなりにけり!!

まぁ、量多いし私は食べないけど←

 

もう無理はしない主義なのだ。

美味しそうなものだけ食べたいのだ。いい大人なので。

ウケ狙いで変なもの食べたくないのだ。youtuberじゃないので(偏見)   

ということで、屋台で串焼きとスイーツビュッフェをチョイスした。

 

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普通に見えるけど、奥の卵は孵る直前のを茹でたやつ

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こっから好きなの選んでパフェにする的な

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タピオカとか餡子とかココナッツミルクでびたびたにしたったでぇ

 

お腹満たされてハピネスなので、ホテルに帰ろう。明日6時スタートだし。

と、

夜道を歩いていたら、声をかけられた。

アカ族の女性たちだ。それとわかる服装をしている。

 

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眩しいっすよ、おかあさん

 

ぎゃんかわである。可愛すぎてどうしようと思う。

ラオス旅初の少数民族との接触に高鳴る鼓動。

まさかファーストコンタクトがこんな夜道になるなんて。

うおお、写真撮らせてつかぁさい。

 

おかあさんたちに手を引かれ、道端のガレージに引き入れられる。

椅子(木のブロック)に座らされるや、膝の上に何やら並べられる。

あ、これは、、、、物売りだ。

 

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ブレスレットを買わせたいらしい。

でも私、布じゃないから興味ない。

合点がいった。観光客相手にこういうことをやるためのあの服装か。

まんまとやられたけど、こっちも買う気ないのでさっさと退散しよう。

 

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なんかお互いの手相見せ合って最後バイバイした

 

昆虫食でローカル文化に触れて高揚して油断していたが、

この町は、「少数民族であること」がビジネスになることを知っているようだ。

 

 

翌朝知ったが、このおかあさんたちはこのガレージで寝泊まりしている。

その次の日もこの辺りでブレスレット売ってた。

それほどまでに貨幣が欲しいのだ。

その背景には彼らの貧困もあるんだろなと、空を仰いだ。

 

美しい人たち

ミャンマーお姉さんたちに骨抜きにされてしまった。

後ろでひとつに結った髪に、生花を巻き付けている人をよく見る。

ジャスミンだったり、名前も分からない黄色い花だったりするのだけど。

今日も、チケットオフィスのお姉さんが、バス待ちの私の前を通り過ぎていく。

笑顔とジャスミンの香りを振りまいて。

その感性があまりに素敵なので、

「髪のジャスミンがとてもすてきですね。後ろから写真を撮ってもいいですか」

と、指さしながら英語で話しかけてみるのだけど、お姉さんは英語が分からないみたいで、

にこりと笑って、髪からジャスミンの花輪をするりと外して、私の手の前に差し出してしまった。

「ありがとう」と答えて受け取ったけど、本当はあなたの美しさを撮りたかったのです。

こんなやりとりが、いろんなところで4度もあって、4度も写真が撮れなかった。

写真は撮れなかったけど、すっかりミャンマーお姉さんたちに骨抜きにされてしまった。

いろいろな市場でジャスミン売りを見た。

いろいろな寺で、仏像の首にジャスミンの花輪が掛かっているのを見た。

生花は日本に持ち帰れないけど、ジャスミンの香りの何かを土産にしたいと思った。


ジャスミンじゃないけど、撮ってもいいって言ってくれてうれしかった。

織りの古都、骨董の古都 Amarapura(アマラプラ)

骨董屋を探している。
マンダレーの町外れにあるというsoemoeという店を探している。
歩き方によるとどうもこのあたりと思われる。
レンタサイクルで30分以上走りまくったがよくわからない。
仕方がないので、行き先を変えることにした。


マンダレー市内から南へ11km。
チャリを転がしてやってきたのは、湖畔の町アマラプラだ。
18世紀、19世紀に王都があったこの町で有名なのは、
ウー・ペイン橋とマハーガンダーヨン僧院だ。


チークでできた1.2kmの橋。一面水で満たされるのは雨季だけ。


ミャンマー最大級の僧院。朝10時、托鉢を待つ僧侶たち。

確かに綺麗なところだけれど、私の目的はこの街の織物だ。
路地を奥へ奥へと入って行くと、普段着の人たちの普段の生活が見える。
賭け事に興じるおじさん、井戸端会議をするおばさん、スナックの屋台。

織機の音がどの辻でも聞こえてくる。
ほとんどはエンジン音が混ざっているから、機械織りだ。
手織りの工房を探したい。
道を尋ねて、工房にたどり着いた。
観光バスが2台も止まっている。
外国人観光ツアーのスポットになっているようだ。

一つの織機に一人か二人。
年齢は10代から30代くらいまでだろうか。
しゃべりながら、歌いながら、
ときどき織り図に目をやって、手は休むことなく糸を捌く。
5cmもないような小さなシャトルに色とりどりの絹糸が光る。
このうねっているような柄は、河の流れを表したものだ。
エーヤワディー川のほとりに生まれたこの国らしい図案だ。
みるみるきらきらした天の衣が織りあがる。
そうかここが天国か。ここが天国なら織り子は天女だ。

こうしてできる織物は、最高級品の花嫁衣裳として取引される。
最高級のスカート地は3500ドルもする。
外国人価格でふっかけているのだろうか。
それにしても、目玉の飛び出る価格だ。
とても買えない。

うっとり見ていたら、3時間も経っていた。
写真も150枚。おなかがすいた。
ご飯を求めてふらふら歩いていると、ずっと探していた看板があった。

「soemoe」

こんなところにあったのか。いやほんとうにあの骨董屋なのか。
中に入れば分かること。
所狭しと並ぶ骨董品と、軒先で作られる新品。
骨董品というふれこみだったが、新品も製作・販売しているらしい。
それどうなのーと思わなくもないけれど、ラインナップは悪くなさそうだ。
一番多いのは仏像、次は漆器、人形劇のパペット、
真鍮のアクセサリー類、果てはナガランドのヘッドドレスまで。

しかしながら、である。
大好物のアンティークテキスタイルがない。
古い布が見たい。いい布が見たい。天然染色のいい布が見たい。
思い切って布がないか聞いてみた。
「あるよ。昨日村から仕入れたばかりだ
ビニール袋からぽんぽんと取り出される60年前の布。
どれも見事な織りだ。先ほどの工房の布と柄も材も相違ない。
伝統が受け継がれているしるしだ。
聞くと店頭に並ぶものではなくて、タイの骨董屋に卸すものだという。
市内でこの店を探していた旨を伝えると、いたく感激され、昼食をご馳走になることになった。
最近アマラプラに越してきたばかりとのこと。道理て見つからないわけだ。

ミャンマーのカレーは辛くなくて肉がごろごろしている。
かなり油っぽいが、これが白飯に絡んでうまい。
満たされたので、読み終わった日本語の本をあげることにした。
ミャンマーの民芸について、写真が沢山使われているから、文が読めなくても何とかなるはずだ。
いたく感激され、先ほどの布を譲ってもいいといという話になった。

側室のロンジー(ロングの巻きスカート)だから、使用頻度も低く、質もいい。
工房で作られる新しい布よりも、古くて質のよいものが破格で手に入った。
帰りは嬉しさをかみ締めながら自転車を漕いだ。
上の空だから少し道を間違えてしまった。

アマラプラの神様ありがとう。

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SoeMoe

少年僧院の休日 Phaung Daw Oo

午前10時、バイクタクシーで飛ばして、ダーウィンの家兼学校に向かう。
Phaung Daw Ooという学院らしい。
鉄格子の門扉の向こうに路地が続いている。
ドライバーはここだというが、少し不安になる。

路地を行くと、確かに学校があった。
どこを見ても、サッカー、サッカー、サッカー…
僧衣を着た少年たちが所狭しとサッカーをしている。
レンガを置いてゴールをつくり、ボールを追いかけている。
今日は休日だから、特に授業もなく遊んでいるようだ。

欧米人のパッカーとすれ違う。
きっとここに泊まっていた人だ。
旅人にとっても、ここは無料の学園だと昨日ダーウィンが言っていた。

よく見ると、男子だけではなく女子もいる。
年齢層もさまざまで、5歳くらいから18歳くらいまでいるように見える。

女の子たちが顔にペイントしているのはタナカと呼ばれる木のすり身だ。
これを美しいと感じるミャンマー独自の美の基準は、まだ健在だ。
ヤンゴンの中心部では見ないから、発展すれば消える風俗の一つだろう。

ぐいぐい奥へ進んでゆく。
賢そうな先生らしきお坊さんがいたので、
英語で話しかけ、ダーウィンを呼び出してもらう。
いきなり全校放送で呼びかけるからびっくりした。
しばらくして、ダーウィンがやってきた。
顔に布のあとがついている。明らかに寝起きだ。
10時頃落ち合って、托鉢一緒に行こうって言ったのおめぇじゃねーのか。
もう托鉢行く気がないのは明らかなので、校内を案内してもらう。


ダーウィンは、サッカーしないの?」
「しない。」
「本は読む?」
「読まない。」
ダーウィンは休日何するの?」
「寝るかマンダレーヒル行くかどっちか。」
はい、知ってました。
やっぱり、のんびりした日々を送っているようだ。
しきりに顔にできたニキビを気にしている。
「それ、あと数年で治るよー。思春期特有のものだからねー。」と言っても、
「うーん」と指でいじっている。

ダーウィンだって、貧困あるいは公教育にアクセスできないくらい田舎の家庭の出であるはずだ。
なのに、悲壮な印象も、ハングリーな印象も受けない。
だいぶ癒された。


バイバイ、ダーウィン君。



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Welcome to Phaung Daw Oo