悲劇の民族クルド人の姉妹
例えばユダヤ人は、長いディアスポラの後にイスラエルという国を持つことができた。
一方で、国を持てないでいる民族もいる。
世界最大の山岳民族クルド人は、イギリスやロシアといった大国に翻弄され、
国を持てないまま、イランやトルコの山岳地帯に住んでいる。
少数民族として、憂き目を見ているという話も聞く。
今回、クルド人に会うことを旅の目標の一つとして思っていた。
ダブリーズからバスで1時間半、ウルミエという街のバスターミナルに到着したとき、目標は唐突に叶った。
「すみません、旅行者ですか?」
バスから出てきたバックパックを背負って歩き始めた時、20歳くらいの女性2人に話しかけられた。
紫色のお揃いのスカーフを着け、そっくりの顔で微笑んでいる。瞳の色が茶色い。
日本から来たこと、一人旅であることを告げると、いたく興奮した様子で家に招かれた。
本当にイランの若い女性は人懐っこく、好奇心旺盛でよく英語を話せると感じる。辺境の街ですらこの教育レベルである。
聞けば、二人は姉妹で、イスラム正月休みに大学から実家に帰るところなのだという。
実家は近い。タダ飯が食える。英語が話せる。見たところクルド人?予定のバスまではあと5時間くらいある。
行ってみない手はない。
迎えを待っているとき、彼女たちの髪の生え際が見えた。
「綺麗なブラウンの髪の毛ですね」
「ありがとう」
「もしかしてクルド人?」
「そうだよ」
クルド人はイラン人やアゼリーとは違う顔立ちをしている。
栗色のカーブした髪、茶色の瞳、鼻が高く長い。彫りが深い。
もし、「ヨーロッパ人です」と言われたら、そうだろうと思うだろう。
クルド人のおねーちゃん。
実家のお母様はもう熱烈歓迎といった感じだった。
ゴルメサブジというカレーのような(全然辛くないけどめっちゃうまい)家庭料理を頂いた。
困っていることはないか?言葉は大丈夫か?こんなもてなししかできなくて申し訳ない。オレンジもお菓子も持っていけ。お金が必要なら持って行って欲しい。
まるで実家のように心配された。今時さだまさしでもこんなに心配しない。
流石にお金までは受け取れない。お断りした。
それにしても、お金を打診されたのはこれが生まれて初めてだ。私の実家でもここまで甘くない。感激だ。もうここが実家でいい。
それから、姉妹とはいろんな話をした。
精米、吸水、お米の炊き方が日本と全く同じであること。
お米はパスタの一種ではない!ソウルフードだ!ということ。
ハリウッドと同じくらい日本や韓国の映画がイランで人気があること。
だから日本の暮らしは映画でよく知っていること。
イランでは美容整形の医者か美容のための歯科医が一番儲かる仕事であること。
理由は、保険効かないし、女性の見た目が結婚には大事だから。
女性は結婚したら外国に行けるけれど、近隣の国だけしか行けないこと。
家族は言ってもいいって言うだろうけれど、そういうの許さない何か(いわゆる世間体だと思うが)があるために遠くには行けないこと。
動物・ペット関係の仕事に就きたいこと。
それから、気になる政治の話も。
ホメイニ・ハメネイは特にヒーローではないということ。
政教分離していないので、キリスト教徒・ユダヤ教徒もイスラム法の下に生きていること。
自分たちは不平は感じていないこと。
イスラム教でもリベラルなトルコを羨ましいとは思っていないこと。
自分たちの国が欲しいと思うけれど、そういう日が来るのかはわからないこと。
イラン・イスラーム革命は確かにデモクラシーだったけれど、英国のようなデモクラシーのあり方もあったかもしれないと思うこと。
初対面、辺境の街で、20歳そこそこの同世代の女性と、英語で、こんなに深い話ができたことに感激した。
日本では、政治の話はタブーみたいなところがある。
イランでは、保守と革新が拮抗しており、対立が激しい。
そうであるからこそこの国では、政治をめぐる言論のトラフィックが多く、自分の意見を推敲しやすいのかもしれない。
何より印象的なのは、若者が政治について事実を現実的に理解した上で、自分の意見を臆せず発言することだ。
イランの女性の教育水準は決して低くない。日本よりもいい教育水準かもしれない。
バスターミナルで別れた。
お母様にもらったオレンジとお菓子でカバンがはちきれそうだ。
現実的に、知的に生きている若いクルド人の姉妹の姿は、この旅一番の収穫になるだろう。そんな気がした。