ラルンガル・ゴンパで鳥葬を見た


※グロテスクな画像があります。苦手な方は見ないでください。※


鳥葬というチベット独特の葬送*1に興味があった。
人の体を鳥に食わせるというエコシステムなやり方や、人間の尊厳をかなぐり捨てた(ように見える)グロテスクさ、
ご遺体に対する(私にとって)異次元過ぎる価値観など、興味は尽きない。
まだやってるなら、行くしかない。

ラルンガル・ゴンパから、乗り合いジープで天葬台へ向かう。
歩いても行けるようだが、ここは高度4000m。息が切れて私にはとても無理だ。
ジープは往復で一台60元。行き先で待たせている時間については、1時間20元。
この金額を頭数で割る。

緑の絨毯の先に、天葬台がいきなり現れた。
あるはずのない山水画的な偽ものの岩がある。
すでに政府の開発の手が入っているようだ。
ショベルカーがティオティワカン状のコンクリの山を造成している。
なんて悪趣味なテーマパークなんだ。

「もう遅かったか」と重いながら、坂を登る。
ニセ山の裏手の坂にはハゲワシが待機していた。

この裏手の赤い小屋が葬儀を執り行う場所のようだ。
近づと、悪臭が鼻を突く。
人間の死体の匂いだ。
豚や牛を屠殺する匂いに似ている。
似ているけれど、もっと強烈に鼻につく嫌な匂いだ。
見ると、昨日の人がほとんど骨の状態で居た。
いや、居ると言うのはおかしい。
輪廻転生の考えに基づいているので、これはただの魂の乗り物だ。
そして、他の生き物にその身を余さず与えた姿だ。

よく見ると、つま先に指が残っているし、
ハゲワシたちは腸管を奪い合っている。
(私の目から見れば)壮絶な光景だ。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
一念で手を合わせる。

まもなく葬儀屋の男が特別な衣装を着て現れた。
まだ間接が繋がっているので、あばらの部分をひょいと持ち上げられて、
昨日の人が運ばれていく。
奥で、中華料理に使う大きな包丁で、とんとんすぱすぱと切り刻まれている。
小さくして籠に入れられ、頭蓋を叩き割られて。

そうして、昨日の後片付けが終われば、今日の葬儀が執り行われる。
午後2時。観客とハゲワシが集まってくる。
観客のほとんどは中国人だ。子供も居る。
マイクが設営され、葬儀場から人とハゲワシが遠ざけられる。
なかなか、立ち退かない鳥と人には水が掛けられる。
そうだ、私たちはハゲワシと大して変わりがない。

今日の人が後から後から運ばれてきて、全部で5人になった。
棺から出てきた体に、毛は一切ない。
遠く、離れてみても分かるくらいに黒ずんで古い死体だ。
男か女か、老人か若者かもわからない。
正直、マネキンか人形にしか見えない。現実感がない。

またも葬儀屋が例の大きな包丁を執って、死体にすぱすぱ切り込みを入れる。
その間も、気の早いハゲワシは距離を詰めにかかり、追い払われていた。
準備やよしとなれば、葬儀屋はその場を離れる。
これを合図に、60羽を超えるハゲワシが殺到し、
瞬く間に今日の人々は見えなくなってしまった。

遺族は、愛しい人の体がこのような事になって、泣いていないだろうか。
周りを見渡しても、遺族らしい人はいない。
ここでは、遺体は魂の乗り物にすぎないのだ。


美人も、婆も、肉と骨になるだけだ。
眩暈のするほど、死は平等だと思った。

*1:他に鳥葬をやっているのはイランのゾロアスター教徒くらい