尼さんのジョマさんのにょこさん

ラルンガルゴンパは学生の町だ。
すり鉢上に広がる町の底には、男子大学(仮)と女子供大学(仮)の二つの建物がある。

ここが町の中心だ。飲み食い買い物はここで済ませる。
学生学生と言っているが、学生の年齢層が幅広い。

昼、学生であふれる庶民的な水餃子屋に入った。
メニューはひとつだけ。水餃子。そして餃子の中身は高菜。*1
2人の尼さんと相席になった。
尼さんはこのあたりではジョマというらしい。
若い方のジョマさんが椀をこちらに差し出した。
なんだろう。こんなところでお布施の請求だろうか。
見ると、どうもこの店は無料かつセルフサービスの茶があるようで、
それを私に配ろうとしてくれているようだ。
指差し会話帳でたどたどしく交流する。
「ありがとう」「寒いですね」「おいしいですね」
そんな言葉を交わすうちに、2人に本を取られてしまった。
スープをすすりながら、本に夢中になっている2人を観察する。
この2人、年齢層にかなり開きがあるように見える。
姉妹と言うよりは叔母と姪くらいの開きだろうか。
しかし似てはいないから親族というわけでもなさそうだ。
「何歳なんですか?」
若い方のジョマさんが指した数字は16。
年上のほうは促されて恥ずかしそうに28と指した。
なるほど。それから聞いて分かったのは、二人は同級生だということ。
なんだか不思議な感じだ。
偉大な仏教の教えにとっては生まれ年など些細なことのようだ。


2人に写真を求めたが断られてしまったので水餃子。

町を歩くと、こんな小さい子供もいる。


デジカメに興味津々。だけどアイスも食べたい。かわいいなぁおい。

女子供大学(仮)に行ってみると、
建物に入りきらない人々が外で講和に耳を済ませていた。


テキスタイル好き的には十字染めの暖簾がたまらない。

講義が終わって静かになる時間を待ってみた。

老いも若きもマニ車を手に読経する講堂。
清浄な雰囲気だ。邪魔にならないよう、私も柱にもたれて本を読む。
すると、そこに2人連れのジョマさんがやってきた。
目が合う。舌を出して微笑んでみた。
舌を出すのがチベタンの挨拶だとここに来る前に読んだからだ。
2人は目を見合わせて笑って、私の傍らに座った。
ジョマさんたちはMP3プレイヤーを耳につけ、本を開いて読経を始めた。
きっと上手な人の読経を聞いているんだろう。
私も聞いてみたい。
「ちょっと片耳貸して?」
ジェスチャーでお願いしてみる。
快く渡してくれた。びんびん響くおじさんの声。これは徳が高そうだ。
2人は2人で私の読んでいる本が気になるようだ。
見せてくれてくれと言っているみたいだったので、貸してみる。
2人とも頭を寄せ合って興味深々に本を覗き込む。
私は、代わりに指差し会話帳を読み始めた。
不意に肩をつつかれ、ジョマさんが付箋を寄越した。
お礼のつもりなんだろう。
ひらめいた。指差し会話帳から言葉を選んで書き込み、それを差し出す。
「こんにちは」「お会いできてうれしいです」「日本から来ました」
へったくそなチベット文字で2人の気持ちを掴むのに成功したらしい。
にょこ、と名乗ったジョマさんが、自宅に招待してくれると言う。

にょこさんの自宅は暖かかった。
ストーブで、ヤクの糞が燃えている。
戸棚から麦焦がしの粉とヤクのバターを出し、ストーブの上のやかんの湯で溶いた。
これがバター茶というやつか。初めて頂く。
形容詞し難い味だ。申し訳ないけれども、まずい。

にょこさんが料理をしてくれるという。
長持のようなものから水を汲み、ストーブでうどんを煮る。
一方で中華なべのようなもので高菜を炒める。
この2つを合わせて、皿に持っていただく。
形容詞し難い味だ。申し訳ないけれども、まずい。

さらに、麦焦がしの粉とヤクのバターを椀の中でこね、そのままいただく。
河口和尚が『チベット旅行記*2でよく口にしていたものだ。
形容詞し難い味だ。申し訳ないけれども、まずい。えづくくらいにまずい。
大変臭い。というか、さっきのバター茶と違うのは水分量だけではないのか。

涙目である。味の点ではチベット人と分かり合えそうにない。
そう思っていた。ヤクのヨーグルトをいただくまでは。
漬物のバケツみたいなのに入ったそれに、砂糖を投入して混ぜる。
口に含んだ。甘みとほのかな酸味が広がる。水っぽくなくて濃厚な味だ。

寝台、椅子に敷かれているのはヤクの毛皮だ。
高度4000mの夜にはこれに包まって眠るという。

にょこさんの生活には、ヤクが溢れていた。


ヤクさん、恵みをありがとう

*1:この町で人間以外の食える肉を見ることは最後までなかった。精進精進。

*2:明治時代にヒマラヤを歩いて越えてチベットに学びに行ったお坊さん。それが河口慧海。とんでもねぇ行動力に敬服。