遊牧民のおばあちゃんたち

園都市ラルンガルゴンパに集うのは学生だけではない。
すり鉢の外には緑の草原が広がっていて、そこには遊牧民が暮らしている。


夕餉の時間になるとテントから煙が昇る。

ラルンガルゴンパは遊牧民の信仰と社交の場としても機能していて、
伝統的なチベットの服装をした人々が集まってくる。

集まっては楽しそうに話をしていくのがおばあちゃんたちだ。

特に遊牧民が集まるスポットがある。
すり鉢の辺にあるマニ車の社だ。
数珠を手に、マントラを唱えながら、マニ車を回して、時計回りにぐるぐる回るのだ。
この礼拝の仕方をコルラという。


犬もコルラする。

ぼけっとコルラする人を眺めていたら、
遊牧民のおばあちゃんがいきなり私の手をとって引っ張った。
「一緒にコルラしようや!」ということらしい。
ぐいぐい手を引かれてマニ車をまわす列に加わった。
おばあちゃんは私の手を撫でながら、
「まー、冷たい手だねぇ」とかなんとか言っている。(気がする)
それきり、自分のドテラの中に私の手を招いて放さない。
温めてくれているんだろう。

初めてまわすマニ車
ひんやりしていて、重い。
手首のスナップで回していると、5年目くらいで手首壊すんじゃないかなと思うくらい重い。
マニ車にもよく回っているやつとほとんど止まっているやつがある。
まじめに全部まわす必要なんてないんだろうけど、、、、
私は真面目だ。

おばあちゃんも真面目にマントラを唱えている。
私も真似して唱えてみる。
普通の外国人ならにこりと笑って親切に教えてくれるところだ。
ところが、おばあちゃんの発音指導は厳しい。
何度も何度も発音したが、眉間に皺のよった承諾しかもらえなかった。
「アーバクベーメーホジャ」「ナムアミトボ」
「アーバクベーメーホジャ」「ナムアミトボ」
「アーバクベーメーホジャ」「ナムアミトボ」
「アーバクベーメーホジャ」「ナムアミトボ」
こう日本語に起こしてははいるが、うまく書き取れている気は全然しない。

不意にコルラの列がざわめいた。
人々のマントラの声が大きくなる。
おばあちゃんも大きな声でマントラを唱え始めた。
いったい何が起きたのか。
よく分からずに回りを観察してみる。
男性二人が荷物を担いで歩いているのが見えた。
二人の間に木の棒を渡し、その間に白い布に入った荷を下げている。
あの荷のかたちは、人だ。
体育座りをした人のかたちだ。
透けはしないが、頭や腕がはっきり分かる。
おばあちゃんが、指を差して教えてくれた。
死体もコルラをするのだ。

もう20周はしている。
死体が私たちを追い抜くたびにマントラの声は大きくなった。
おばあちゃんは、一周回るたびに数珠をはじいた。
さすがにちょっと疲れてきたなぁ、と思っていたら、
コルラの列を離れて、おばあちゃんの友達のところに連れて行かれた。

お茶、といってもどうせチベット茶だけれど、一服の時間だ。
おばあちゃんたちは「まぁ、お前も飲め」とたぶんそう言って、椀を差し出した。
知っている。これが不味いということを。
生唾を飲んで、臨む。
「はい、頂きます」手を合わせて頂戴する。
「ちょっと待って」たぶんそう言って、袋のなかを探し始めた。
出てきたのは、一人パックのインスタントコーヒーだ。
「これを飲みなさい」たぶんそう言って、私の分のコーヒーを作ってくれた。
おばあちゃんはチベット茶を飲むのに。
貨幣で入手するインスタントコーヒーは高級品のはずだ。
助かったんだけれども、大変申し訳ない。
さらに、「これ食べる?」たぶんそう言って、布袋を差し出した。
中を覗き込むと、麦焦がし粉が入っている。
「粉をそのまま食べるの?」私が不思議がると、おばあさんは粉の中から団子を取り出した。
粉まみれの団子を割ると、バターだった。それもヤクのバターだ。
粉とバターを練り練して食べることは河口慧海チベット旅行記』で知っていた。
なりほどこうして持ち歩き、その場で練って食べるのか。
でも、知っている。これが不味いということを。
生唾を飲んで、臨む。
「はい、頂きます」手を合わせて頂戴する。
今度は自分お手で練って、少しずつ舐める。
不味い。くさい。やっぱり少しえずいてしまった。
でもおばあちゃんたちの気持ちが嬉しい。

おばあちゃんの持っていた数珠が気になるので見せてもらった。


使い古した、数珠。たぶん動物の骨と皮。そして玉。
何周したのかを数え続けてきた。

日本でチベットのドキュメンタリーを見たとき、
マニ車回すだけで経を読んだことにするなんて、なんて生皮なんだろうと思った。
マニ車はそんなに甘くない。


結局、おばあちゃんたちとは毎日会った。
最終日、「今日、さよならだよ」と指差し会話帳でつたえた。
おばあちゃんは「あんたの手冷たいからね。これ使いなね。」とたぶんそう言って、毛糸の手袋を片方くれた。