リクシャー讃歌

リクシャーワラーはうるさい。
街を歩いているときの粘着質な営業と言ったらない。
乗るなら乗るで、2〜3倍はふっかけてくる。
リクシャーワラーは苦手だった。今日乗るまでは。


今夜、23:20の電車で、アグラーに発つ。
シアルダー駅へは手近なところからバスは出ていない。
夜の道をひとりで歩く勇気はない。
タクシーか何かで行かねばならない。


何人かのタクシーワラと交渉した。250〜300ルピーが相場のようだ。なんか高い。
人力リクシャーを探してみようと、通りを歩く。


「リクシャー、安いよ!マダーム!」
声をかけてくるリクシャーワラは苦手だ。そして私はまだマダムではない。
マダムには見えない、、はずだ、、たぶん。
スルーしようとした時、静かに道端に佇んでいる白髪のリクシャーワラと目が合った。
彼に聞いてみよう。
「シアルダー駅までいくらで行きますか?」
「100ルピー」
安い。ぼらない。うるさくない。
決めた。この人しかいない。



もう50は過ぎているだろう彼は、私とバックパックを載せて走り出した。
右手に持ったベルは、自転車のベルと同様な機能を持ったものらしい。
広背筋や筋張ったふくらはぎが一定のリズムで動く。息の上がる様子もない。


歩くよりは速いが、自転車には劣るスピードで夜のコルカタを行く。
ここの路上には剥き出しの生活がある。


遊ぶ子供。
バイクに2ケツする若者。
ジャガイモでいっぱいの袋を頭に乗せた人。
母犬の乳に群がる仔犬。
街灯の下、野菜を地面に広げて売る人。
綿布一枚を頭から被って眠る家族。
ひとつひとつのシーンが私には驚きだ。
これがインドか。



空間を共にするから、匂い、喧騒、好奇の視線すら隔てるものがない。
バスに気を遣い、スクーターに追い越され、道の端をリクシャーは行く。


この手の人力リクシャーに未来はない。
新たなリクシャー免許の交付はもうなされていない。
今いるリクシャーワラがいなくなれば最後。
あと10年も経てばなくなる乗り物だ。


惜しいなぁ、と心から思う。
インドに来て2日目。
おっかなびっくりインドに触れるのに、これ以上の乗り物はないというのに。